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平成13年2月、全く雪下ろしをしていなかった機関庫の屋根が雪の重みで抜け落ちてしまいました。 転車台解体後も残っていた機関庫ですがほぼ全壊状態だそうです。
No.024(H14.01/10)
さる12日(月)未明、屋根の積雪で倒壊した旧米沢機関区機関車庫の跡に、本日午前
10時から約1時間半、JRの許可を得て入構しました。
調査には、山形産業遺産研究会の会員2名も参加しました。
先日の倒壊事故では、主要な煉瓦造りの部分980平米が全壊したわけですが、14日( 水)には危険だからということで北側の鉄筋コンクリート造りの増築部分320平米が 解体されました。近ぢか解体の予定とのことですが、東側に突き出した煉瓦造りの下 屋(検修庫)部分150平米は今日のところはまだ残っています。 先日倒壊した主要部分のうち崩壊をまぬがれたのは、南側の入口に接した壁と、地面 から高さ約1m(煉瓦16段分)の煉瓦造りの壁(腰)の部分でした。 煉瓦の製造所などを示す刻印は、見い出すことができませんでした。 通常の煉瓦と焼き過ぎ煉瓦各3個を、資料としてもらってきました。 小屋組に使われていた古いレールは、みな脆性破壊を起こしているようにみえました。 しかも、破断面はすべて黄褐色になっています(褐鉄鉱の色でしょうか)。 建物倒壊の翌日に見たときも、黄褐色でした。 SLの煙に曝されるという過酷な環境下で、レールは内部まで腐食が進んでいたので はないかという気がします。 雪の重みに耐えかねて、レールがついに脆性破壊を起こして、一気に崩落を起こした ものと思われます。 レールには、ウニオンドルトムント社1886年と、カーネギー社1900年の刻印を見い出 しました。(北側の増築部分では、ウニオンドルトムント社1903年の刻印が、すでに 野口先生によって見い出されております。) それらのレールの一部を「産業遺産」として保存することを、米沢市に求めていく予 定です。 お気づきの点があれば、ご教示ください。 草々 2001年2月19日 粟野 宏 |
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煉瓦構造物は一時期の短い期間にだけ作られました。今回の絵葉書では、機関庫や旧松川橋梁橋脚、板谷トンネル排煙煙突、 庭坂駅危険物庫で構成されています。問い合わせははがきで。
右の写真は「峠越え百年」です。
絵葉書は粟野 宏氏撮影の転車台、機関車庫、スイッチバック等の写真5枚セットになっております。 |
参考までに各地の転車台も見てください、転車台機能の説明も掲載しています。
そして、文化財に認定された転車台や移設保存された転車台の画像もあります。
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米坂線の蒸気機関車 鈴木氏による蒸気時代の写真と思い出がいっぱいです。
Photograph House "WINGS" 航空機や鉄道(つばさ、EF71&ED78&ED75)の写真、山形の方です。
「924+181」 応援するページをPRしているユウキのサイト。
無煙化後の転車台達、
新小岩の転車台を部分保存する会もあります。
奥羽本線編は奥羽本線に関するユウキが撮った画像です。